採用情報

RECRUIT

DNA

ソレイユのDNA

あなたらしく笑顔で暮らす
ことを全力で応援します。

私たちのバリュー

01

常にホスピスマインド

02

仲間を集めてチーム作り

03

常に前向き挑戦。出来るまでやる。

04

現状に甘んじず高い目標を掲げる

経営理念

病気や障がいがあっても誰もが
安心して暮らせる街創り

GUIDLINE

医療法人ソレイユの行動指針

01

私はいつもおもてなし心で接します。

患者さんに感動を与えるおもてなしをします。そのため、いつも患者さんが何を望んでいるのかを考えます。なぜなら、患者さんのニーズは常に変わるからです。

患者さんの手助けをし、感謝されることにやりがいと楽しみを持ちましょう。

02

私は何事も最後まで
あきらめずに成し遂げます。

成功するかしないかは、その人の持っている熱意と執念に強く関わっています。何をやっても成功しない人には熱意と執念が欠けているのです。体裁のいい理由をつけ、自分を慰め、すぐあきらめてしまうのです。

成功するには、目標達成に向かって粘って粘って最後まであきらめずにやり抜くようにしましょう。

03

私はプロフェッショナルとして
時間への投資を惜しみません。

プロフェッショナルとは、目的をもち、それを行動に移し達成する人のことを指します。

そのためには、最善を尽くす努力が必須です。自己を磨くことに投資し、プロフェッショナルであり続けましょう。

04

私は自発的に、
常に新たなチャレンジをします。

新しいことや困難なことへのチャレンジは、自信を成長させてくれます。どんなことでも現状が完璧と甘えず、自発的にチャレンジすることで、より質の高い仕事をしていきましょう。

05

私は自分が起こしたミスを素直に認め、直ちに改善します。

偶然はありません。すべて必然です。必要な学びだから問題が起こっていると考え、素直に受け入れましょう。発生した問題は直ちに改善し、問題から学びましょう。

06

私はチームの目標とチームでの自分の役割を理解し、チームパフォーマンスの向上に努めます。

組織やチームは、個々の強みを活かし、役割分担ができてこそうまく回ります。

少しでも手が空いたなら、他のメンバーに「何か手伝おうか」と声をかけてみてください。ソレイユはそんな「お互いに助け合える」雰囲気を大切にします。

07

私は枠を超えた強いつながりを築くため積極的にコミュニケーションを図ります。

患者さんと、そしてスタッフ間でも積極的にコミュニケーションをとりましょう。それは、患者さん満足度の向上と居心地の良い職場作りにつながります。

08

私はできない理由を考える前に
できる方法を考えます。

「できない」「無理だ」と相手に伝えるため、頭をひねってその理由や言い訳のほうをあれこれ考えることがあります。しかし、これは後ろ向きの努力です。どうせ努力するなら、前向きの努力、どうすればできるかを考えるべきではないでしょうか。仕事や人生をとても豊に幸せに、自分の思い通りに展開している人はほぼ100%できる理由を考えるプラス思考型の人財です。

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EPISODE

患者さんとのエピソード

これまでに私たちが支援した患者さんやご家族についてのエピソードをご紹介します。
また、掲載している患者様、ご家族様には掲載の了解をいただいております。

  • Tさま 64歳 女性

    筋萎縮性側索硬化症にてご主人や長女さんの介護を受けながら在宅療養されていました。おそらく今年が最期であろう桜の時期に、ご家族が「花見をさせたい」「せめて車窓からでも」と希望され、スタッフもなんとかその実現に策を考えましたが呼吸苦が強く外出は叶いませんでした。上の写真はスタッフがベッドサイドに桜の木を準備し、ミニお花見をした時の娘さんとの1枚。この5日後に永眠されました。入院が苦手だったTさん。希望通り最期まで自宅で過ごすことができました。ピアノ講師だったTさんの長女さんもまたピアノの先生をされています。訪問中聞こえていたピアノの音色…思い出されます。

  • Iさま 72歳 男性

    肺がんで治療されていましたが、緩和治療方針になられ自宅療養を選択。大好きな奥さまや、娘さん、お孫さんたちに囲まれて過ごされました。亡くなる1週間前からは、関東から長女さんご家族も駆けつけられ、末孫の男の子(写真)も積極的にじいじのケアに参加。この写真の2日後に永眠されました。

  • Oさま 74歳 男性

    農作業が趣味で、在宅スタッフが訪問するたびに採り立ての自家製野菜やお花を差し入れされていました。肺転移の病勢が悪化し、いよいよ畑へ出かけることも困難になられたころ「5月の連休明けには俺が植えたそら豆を収穫しないといけないが、俺はもうその頃はこの世におらんけんあんたたちが代わりに採ってくれよ」と繰り返し訪問看護師へお話されるように。写真は、Oさんのご逝去後に奥さまとそら豆を収穫した際のもの。そら豆の他に、えんどう豆、いちご、玉ねぎなどたくさんの収穫できました。どれもこれも美味しいものばかりでOさんの命が土に息づいているようでした。

  • Tさま 75歳 男性

    肺がんで、手術や抗がん剤での治療中に熊本地震に被災。全壊した自宅の復元に尽力されながらも、増悪していくがんとの戦いの日々でした。自宅の再建に目処がたった矢先に、治療困難(BSC)の診断。絶望の中でも「自宅で最期まで家族と過ごしたい」という希望を持ち療養されました。ケアチームには、じいちゃん大好きなお孫さん方も積極的に加わり、マッサージや体拭き、お薬を準備したり、甲斐甲斐しいお世話ぶりでした。病勢が悪化し、呼吸困難や倦怠感が強くなり、持続皮下注射による鎮静を使用しよう、との方針が出された時「じいちゃんと話ができなくなるのは嫌だ」と猛反対。最終的には同意が得られましたが、かなり葛藤の末の決断だったようです。
    右端の写真は亡くなる前日のもの。ご本人はもちろんのこと、まわりもみんな笑顔です。じいちゃんのケアやACPにも参加したお孫さん。その過程から、最高の「いのちの学習」を受けることができました。

  • Aさま 男性

    膵臓がんで、食欲不振や疼痛、嘔気などの症状をコントロールしながら奥様のサポートのもと在宅療養されていました。ある日ふと「昔良く食べに行っていたラーメンが食べたい。」と。大学進学で上京されていた時に足繁く通っていた熊本ラーメンのことでした。ダメ元でそのお店に電話で事情を説明したら「作りに行きますよ!」と、とてもありがたい返事をいただけ、次の日には“出前”ならぬ、“出張調理”に来ていただけました。本人にはサプライズで計画していたので、目の前に、このラーメンが出された時は相当な驚きようでした。それでもやはり食指は進まず、スープと麺とチャーシューを少しだけ召し上がりました。その日の夜、奥様へ「参りました」と、メールされたAさん。そのメールは今でも奥様の宝物です。

  • Kさま 80歳 男性

    鮮魚店の会長さんです。肺がんと間質性肺炎でながらく入院治療を受けられていましたが、在宅療養を希望され、酸素を使用し退院。大好きな奥様と息子さんご家族と賑やかに過ごされていました。ときにはベッドより、厳しく仕事の指示を出されることもありました。美食家で、在宅チームが訪問するたびに「これば食べなっせ、これも美味しかよー」と、Kさんの舌を納得させた品々が出され、体重が増えたスタッフもいました。
    上の写真は、Kさんの会社から魚を仕入れているお寿司屋さんでの1枚です。主治医、看護師同伴で夜のお店にでかけました。お店のいい雰囲気や料理の美味しさも相まって、久しぶりにお腹いっぱいになるまで召し上がれました。

Welcome!

“自分らしく笑顔で暮らす”患者様を全力で応援しませんか?私たちはあなたとの出会いを楽しみにしています!